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- 挑戦と進化のあゆみ
1928年の創業以来、スガイ化学は絶え間ない挑戦を続けてきました。
1世紀近くの長きにわたって培ってきた技術を強みに、
染料・顔料の中間物から医薬・農薬・機能性素材の中間物、界面活性剤といった多品種生産への対応を実現しています。
1928-1961
- 1928-1949
- 日本初となる
パラ染料の国産化に
挑戦 - 日本の染料工業が発展初期段階だった当時、創業者の故菅井赳夫は、当時衣服などの染色に使用されていた、パラ染料の国産化研究に成功。和歌山市で「菅井化学工場」を創業し、国産第一号のパラ染料の製造を開始しました。当社製品「パラブラウン」は、当時の日本人の日常衣服として好まれる色であったため、発売するやいなやすぐさま輸入品を駆逐しました。そして、その技術を応用しさまざまなアゾ染料の製造へと進出しました。一方で、日本にない製品を「自分で創りあげた技術」で工業化しようとする創業精神から、染料原料の国産化にもこだわり続け、ここから当社の中間物技術の歴史が始まりました。
第2次世界大戦からの復興期、染料業界の過当競争を予期した菅井赳夫は、顔料工業界からの強い要請もあり、赤色の印刷インキや郵便ポストの塗料用原料として使われている顔料中間物「トビアス酸」の国産化にも挑戦。他社に先んじて製造をスタートさせました。
- 1928
- 菅井化学工場の創業、パラ染料の製造を開始
- 1933
- 和歌山市宇須183番地に新工場を建設し移転
- 1949
- 顔料中間物「トビアス酸」の国産化に成功
- 1952-1958
- 国内屈指の
“中間物メーカー”へ
進化 - GHQから日本政府への染料工業の再開と増産という要請に対し、当社は急ごしらえの工場と装置で染料・中間物を生産しました。しかし、多額の設備投資を行う中、復興金融公庫の打ち切りもあいまって、1951年、ついには事業休止へと追い込まれました。
そこから化成品工業協会の協力によって再建計画が作成され、資本金300万円によって1952年「菅井化学工業株式会社」は設立されました。その後、再建完了した当社は、当時世界でも例を見ない中間物専業メーカーとしての企業展開方針を新たに策定。大資本の業界大手と競合するのではなく、自らの技術力を活かし、染料の原料である中間物の開発・生産へと全面的にシフトしました。
- 1952
- 菅井化学工業株式会社設立
- 1955
- 優良工場として中小企業長官表彰を受ける
- 1958
- 中間物専業メーカーとしての企業展開方針を策定
- 1961
- 和歌山西工場の操業開始
新分野の製造に挑戦 - 1961年、和歌山市湊の旧高松化学工場跡地に、和歌山西工場(現在の和歌山事業所)を新設しました。目玉となるエチルアミンの製造に加え、食品着色料向けに蓚酸酢酸エチルエステルソーダ「OAE」の生産をスタート。後に、連続乾燥機の導入により、効率的に生産できる方法を確立しました。当社製品「OAE」は、写真薬向けや農薬向け中間物として当社を支える物質へと成長し、この挑戦を通じて培った技術や設備が、現在の主力分野の一つである農薬中間物製造における基礎となりました。
- 1961
- 和歌山西工場の操業開始
蓚酸酢酸エチルエステルソーダの生産をスタート
1962-1983
- 1962-1972
- 「スガイ化学工業」と
名前を改め、
さらなる高みへ挑戦 - 「スガイ化学工業株式会社」に社名を変更。当時、カタカナ社名は珍しく、社会的に大きな注目を集めました。社名の変更は求人面にも好影響をもたらし、業績とイメージの両面にわたる上昇機運を背景に、1963年、大阪証券取引所市場第二部に株式上場。世の中では国際収支悪化の影響を受ける企業がある中、当社は輸出売上を本格化させていたため国内不況の影響を受けず、売上高10億円台を実現しました。
- 1962
- スガイ化学工業株式会社へ社名変更
- 1963
- 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 1968
- コンピュータによる情報処理がスタート
和歌山市宇須にて新研究所完成 - 1972
- 西浜製品センター新設
- 1973-1983
- 高まる海外需要に応え、
社内体制を強化 - 海外との取引を積極的に行うようになっていた当社は、当時珍しかったスプレー式潤滑油「BIRAL」にいち早く目をつけ、輸入販売に向けたプロジェクトチームを立ち上げました。
そして、1981年にはBIRAL社の日本総代理店として、売上高1億円を突破しました。
また、海外市場でのさらなる販路拡大を目論み、ニューヨークに駐在員事務所を開設し、のちに法人化(2001年解散)。米国での大口ユーザーの開拓や情報収集に注力しました。
- 1973
- ビラル・プロジェクトチームが社内に発足
- 1983
- ニューヨーク駐在員事務所を開設し、海外展開を本格化
- 1984-1990
- 未踏領域であった
農薬中間物の生産に挑戦 - 1984年、当社の米国向け農薬中間物から作られた大豆除草剤が全米で大好評を博しました。
本製品は、前述「OAE」を出発原料としており、当社がこれまで蓄積してきた技術を基に効率的に生産することができました。
また、その需要の高まりに合わせ、プロセスを変更しコスト削減を図るための生産設備を和歌山西工場に増設しました。
その後も、同類組成の農薬中間物の開発・販売を次々と行い、農薬中間物の大量・安定供給により、さらなる売上の拡大につながりました。
- 1984
- 当社の農薬中間物から作られた除草剤が全米で好評を博す
- 1985
- スガイケミー株式会社設立
- 1990
- 時価発行増資により資本金25億1千万円に
1992-1996
- 1992-1996
- 福井に製造拠点を増設し、より選ばれる企業へ進化
- 従来の工場だけでは追いつかない旺盛な需要に応えるため新工場の建設を決断。公害対策が万全で整備しやすい環境にあったことから、大型工業団地「テクノポート福井」が立地として選ばれました。
1990年代後半になると、医薬業界では、ブロックバスター(画期的な薬効を持ち莫大な売上をあげる新薬)となる品目の販売が拡大し、医薬分野における中間物開発・生産のニーズが高まりました。中でも当社は、当時切望されていた本格的HIV治療薬の中間物を効率的に生産する体制をいち早く確立。異性体分離等オンリーワンの技術を武器に、海外の製薬会社に対し、その中間物を一時独占的に供給しました。
その後も、他の医薬中間物の販売も次々と開始しました。これらの挑戦をきっかけに、当社の医薬分野における中間物の開発・製造の歴史が始まりました。
- 1992
- 福井工場で操業開始
医薬・農薬中間物、機能性中間物など多品種生産への対応を実現 - ニューヨーク駐在員事務所を法人化し Sugai America Inc. とする
- 1996
- 福井工場に医薬中間物専用生産棟(F-2工場)完成
- 画期的なHIV治療薬の中間物を開発・提供
1997-2022
- 1997-2022
- 新領域への絶え間ない挑戦
- 新製品の開発を積極的に行う中、製品の試作を行う和歌山の中実験工場が手狭となったため、福井工場(現在の福井事業所)内に最新鋭の設備を備えた新パイロットプラントを建設。
また、医薬分野でのさらなる生産能力拡充を目的とし、福井事業所に医薬中間物専用生産棟(F2-B工場)を新設しました。F2-B工場にはクラス100,000のクリーンルームを備えており、製品取り出し時のコンタミ防止等の対策が徹底されています。
さらには、2017年、環境問題や燃料の安定供給等に対応すべく、福井事業所の燃料を重油からLNG(液化天然ガス)に転換しました。
- 1997
- 福井工場内に新パイロットプラント完成
- 米国FDAによる福井工場査察を受ける
- 1998
- 福井工場ISO 9002-1994取得
- 1999
- 和歌山西工場ISO 9002-1994取得
- 2000
- 和歌山工場ISO 9002-1994取得
- 2001
- ISO 9001-1994(拡大統合)取得
- 2003
- 和歌山工場と和歌山西工場を統合し和歌山事業所とする
同時に福井工場を福井事業所と改める
ISO 9001-2000へ移行 - 2008
- 福井事業所に医薬中間物専用生産棟(F2-B工場)完成
- 2009
- 福井事業所に一般化成品倉庫が完成
- 2010
- ISO 9001-2008へ移行
「KANSAIモノ作り元気企業100社」に選定される
海外向け製品の好調な販売により輸出比率が50%を超える - 2013
- 統合により、東京証券取引所市場第二部に上場
- 2014
- 和歌山事業所に危険物屋外貯蔵施設完成
- 2016
- 監査等委員会設置会社へ移行
和歌山事業所、福井事業所および福井研究所にてISO 14001-2015取得 - 2017
- 福井事業所にて環境に配慮した燃料LNG(液化天然ガス)に転換
- 経済産業省「地域未来牽引企業」に選定される
ISO 9001-2015へ移行 - 2019
- 福井事業所にてプラント増強
- 2022
- 東京証券取引所の市場再編に伴い、東京証券取引所スタンダード市場に移行
厚生労働省「ユースエール」に認定される